しようぐん⚡雷恐怖を克服する

雷恐怖症 のため、雷克服計画書を作成し自分自身を実験台にして実践しています。

異世界お父さん(1)

マートフォンか。
ふらふらとあてどなく散歩に出掛けるのは、昔から俺の気晴らしの仕方だというのに、娘ときたらそれを全く理解しようとしない。
そういう姿を近所に見せたくないのか、ちょっとタバコを買いに行こうとしただけで「何処に行くの!」と咎めてくる。
そしてその度に喧嘩になる。全く困ったものだ。
そんなに出掛けたいならGPSを体に埋め込むわよ、なんて言いやがる。
昨晩もその件でひどく口論になったのだが、「せめてGPS付きのスマートフォンを持って」と半泣きで懇願された。
あまりに娘が不憫になったものだから、渋々それを了承し、明けて今日、朝一番で携帯ショップに来た次第である。
 
「こちらがご年配の方に大人気の、かんたんスマートフォンです。何か調べたい事や困った事があれば、このマイクの所に話しかけて頂くと、スマートフォンがアドバイスしてくれますよ」
「へぇー、便利なもんだな」
娘に無理やり連れて来られたが、今はとにかくこの携帯ショップの女性店員さんと話をしているのが楽しい。生まれて此の方、出会った事もないような整った顔立ちで、雰囲気、というか俗っぽい言い方をすれば気品にあふれるオーラを感じる。こちらとしては、顔の筋肉を全集中させてないとだらしない感じになりそうなので、ここ一番の気合いを入れて会話をしていた。
まるで女神のようだ。
不意に、右の太ももにクワガタムシに挟まれた時の様な痛みがあって、つねってきた右側を向くと、隣に座っていた娘が汚い物でも見るような目つきで俺を睨んでいた。
普通なら「何すんだてめぇこのやろう、表に出ろ」と捲し立てるほど喧嘩っぱやくて気の短い性分なのだが、一瞬顔の緊張が溶けて、だらしない顔で向いてしまった。
「天国のお母さん、どうかこのジジィに天罰を与えて下さい」
娘は声に出さなかったが、喧嘩した時のいつもの台詞を言ってるだろう事が、口の動きでわかった。
「あの、何かお困り事でもありましたか?」
綺麗な抑揚で透き通った声が、左耳に入ってきた。
「いや、ははは、何でもないですよ」
俺はまた、顔の筋肉を総動員して向き直った。
「そうですか。それではご説明を続けさせて頂きますね。例えば、ご旅行に行かれた時に見慣れない景色で道に迷われたりした経験はありませんか?」
「う〜ん、最近は旅行に行ってないねぇ。でもまぁ、昔は家族で何回か行ったかな」
「このスマートフォンはいつでも最新の地図を見る事ができるんですよ。画面のこのアイコンを押すと。どうぞ、この場所を中心にして周りの地図が見えるでしょう?」
そう言って女性店員はスマートフォンを手渡してきた。
確かに、地図が表示されている。
北が上か。なるほど、魚屋がここで、本屋がここ、そこから約150歩南南西へ行くとこのショップに着く。なんだ、俺の頭ん中の地図と何も変わらないじゃないか。
「外国旅行にはご興味ありませんか?」
「外国?とんでもない、外国語なんか喋れませんよ」
「大丈夫ですよ。このスマートフォンには自動翻訳機能もついてるんです」
スーっと店員の手が伸びてきて、俺が持っているスマートフォンの画面の何かのマークを「ポン」と押した。
俺はその所作に見とれて画面は見ていなかった。
「どうですか?」
「は?
どうですかと言われても…」
やばい。もしや店員さんに見とれて、大事な事を聞き逃したのか?
「大丈夫そうですね」
にこり、と店員が微笑んだ。
本当に女神様のようだ。
「外国語が喋れたら、外国へ行ってみたいですか?」
「まぁ、行ってみたく無いって訳ではないんですがね。ガキの時分には西部劇に憧れてましたから」
「そうですか。それなら、スマートフォンの真ん中の「入口」と書いてあるアイコンを押すと外国旅行を体験出来ますよ」
女性店員はにっこり微笑んで、「入口」と書いてあるマークを指し示した。
どんな体験できるのか面白いじゃねぇか。
俺は促されるままに「入口」マークを押した。
「ちょ、ちょっとお父さん!
さっきから何を店員さんと喋っているの!?
それ何語?」
突然、娘が俺の右腕を掴んできた。
「何語ってお前、俺は日本語しか喋れないぞ。それにあまり人前で腕を掴んでくるな、恥ずかしい」
「!?」
娘は更に困惑した様子で、掴んでいる腕をブンブンと揺さぶってきた。何だよ、まるでお化けでも見ている様な顔じゃねぇか。
「すみません、ご家族様をフレンド登録し忘れました。登録しますね」
またスーっと店員の手が伸びてきて、スマートフォンの画面の何かを「ポン」と押した。
「これで大丈夫ですか?」
女性店員は娘に向かって微笑んだ。
娘は、一瞬思考停止でもしたような呆け顔をして店員に頷いた。
「え、あ、はい。でも、ちょ、ちょっと待って下さい。今のは何だったんですか?」
俺の腕を掴んだまま、娘は怪しむように店員に聞き返した。
「お前こそ、なに変な事を言ってるんだ。店員さんに失礼だぞ」
「いや、いやいやいや、お父さん。さっき自分が変な言葉喋ってたの気づかなかったの?
私はこれでも中学の英語教師なのよ、スペイン語?イタリア語?全っ然聞いた事がない言葉喋ってたのよ?」
「俺が外国語なんか喋れるわけないじゃないか」
「お父さん、おかしいって。ちょっと、今日はやめておきましょ。店員さん、どうもありがとうございました。早く帰りましょ」
娘はお辞儀をしながら俺の腕をグイと引っばった。
「そういう訳には参りません」
女性店員の顔は相変わらず微笑んでいた。
だがその言葉には命令に似た強い意思を感じた。
「よくわからないが、何だかこう娘が怯えているんで、またにしてくれないかね?」
俺はまだこの店員さんと話していたかったが、これ以上娘が失礼な事を言っては次に会うときに困る。
「駄目です。先程「入口」アイコンを押されたので、間もなく外国へ旅立って頂きます」
「ちょっと訳がわからないんだが…」
すると、くるくる目がまわりはじめた。
「何これ!地震!?」
娘が、俺の腕を更にギュッと掴んだ。
「私は、多重世界を守護する女神です。貴方には別の世界へ行って頂きます。そしてその世界の危機を救って下さい」
女性店員はもう店員の姿をしていなかった。
白いベールの様な衣装をまとい、背中には今にも飛び立ちそうなくらい大きくひらいた翼があった。
視界がブラックアウトする。
そして突然床板が抜けたような具合になって、一瞬フワッと宙に浮いたかと思うと、一気に落下し始めた。意識がだんだん遠くなる。まるで娘がまだ小さかった時に無理やり付き合わされた、遊園地のフリーフォールとかいう乗り物みたいだ。
そして完全に気を失った。
 
つづく